このブログの主人公はさかなです。
急性骨髄性白血病と闘いながら、中学受験に挑みました。
2度の骨髄移植を乗り越え、関西の難関中学に合格。
そんな経験をもとに、受験勉強や闘病生活に関する情報を発信するブログです。
こんにちは!
「さかなの父」です。
子どもが入院中、私は、仕事をしながら付き添いをしていました。(約半年)
ずっと、子どもの側にいてあげたかったのですが、やはり、働かないとお金が入ってこないので、時短勤務を取り、働くという選択をしました。
さかなには3歳下の子弟おり、妻も働いていたので、妻が家のことをして、私がさかなの付き添いをすることになったのです。
日々の生活状況
私は、さかなが白血病で入院している間、病院が家のような生活をしていました。
私は、さかなが入院中、ずっと側にいてあげたかったのですが、そうなると、収入が無くなり、生活が苦しくなるので、働きながら、さかなの付き添いをすることに決めました。
とはいうものの、親として心配で、少しでも子どもの側にいてあげたいと思ったので、時短勤務で働くことにしました。
私は、さかなが入院中、午前9時から午後4時まで働きました。
休日は、妻と変わり、家に帰り、お酒の飲んだり、下の子と遊んだりとまったり過ごしました。
入院中、父の一日の生活スケジュール
- 午前7時ころ さかなとともに起床
- 午前7時半ころ 看護師さんと会話
- 午前8時前 さかなに薬を飲ませる
- 午前8時ころ 会社へ向け出発(さかなは朝食開始)
- 午前9時ころ 会社に到着
- 午後4時ころ 勤務終了
- 午後5時ころ 病院に到着
- 午後5時過ぎ さかなの身の回りの世話
- 午後5時半ころ 洗濯
- 午後6時ころ 夕飯(さかなと一緒に)
- 午後7時ころ さなかと一緒に勉強
- 午後8時ころ シャワー
- 午後8時過ぎ さなかと読書
- 午後9時ころ 就寝
職場の状況、雰囲気
私の職場は、付き添いの状況に理解があり、サポートしてくれました。
何かあればすぐに帰っていいと言われていました。
業務量もそれほどなく、午後4時に終わるように仕事を組んでいました。
周りからも、励ましの声をかけてもらいました。
ただ、自分の心の中で、仕事に対するモチベーションは一切上がりません。
たまに、自分の存在は意味があるのだろうかと思うほどです。
病院での父親の付き添い状況
病院では、お母さんが付き添いをしている割合が多いです。
昔に比べれば、お父さんが付き添いすることも多くなったのかもしれませんが、ただ、小児病棟の付き添いとして多く見かけるのは、やはりお母さんです。
そのため、我が家のように、父親がメインで付き添いをすることは珍しいと思います。
男親としては、周りに女性が多いことは、普段の病院生活で非常に気を使います。
洗濯機は、みんな共用ですし、シャワーも個室を共用(予約制)
子どもは、治療のため、部屋から出れないことが多くありましたが、私も部屋から出たくありませんでした。
病院での付き添い人の食事
当然ながら食費は、付添人の食費はでません。
だからと言って、毎日コンビニのお弁当では、栄養も偏りますし、お金もかかります。
私は、近くのスーパーで、うどんとカット野菜とだしを買って、それらをレンジでチンして食べていました。
私は、出費を抑え、ボリュームを少しでも増やすことを重点的に考えていました。
冷蔵庫もありません(一応有料であるが)から、毎日のようにスーパーに買い物に行っていました。
病院での付き添い人の睡眠
付添人の睡眠環境は、良くありません。
特に私は、身長が180センチ近くあるので、病院にある椅子や、机、すべてのサイズが小さく、苦労しました。
私は椅子を繋ぎ合わせて寝ていたのですが、足が少し椅子から出ている状況で寝ていました。
椅子から何度も落ちたこともありますが、不思議なもので、疲れていると、寝てしまいます。
つらいのは、寝ている最中に起こされること。
「何かあったら起こせよ」と子どもに言っていたので、精神的に仕方ないと割り切ることはできますが、体はしんどかったです。
病院での付き添い人の洗濯
さかなが入院していた病院では、小児病棟に洗濯機が一つ置いてありました。
私は、帰ってから、仕事で使ったカッターシャツなどを、さかなの服と一緒に洗っていました。
ここで、先に洗濯機を使っている人がいると、それが終わるのを待たなければいけません。
また、終わっても、たまにすぐに回収に来ない方もおられるので、洗濯は、タイミングが大事でした。
また、私の場合、おっさんが着ていた服を洗うわけですから、周りのお母様が嫌がるのではないかと勝手に思ってしまい、できるだけ、人目につかないように洗濯を終えれるように心がけていました。
まとめ
病院では、お医者さんや看護師さんが、ずっといてくれているので、安心なのですが、それでも、抗がん剤治療や放射線治療が開始されると、とても心配でした。
私は、さかなが高熱を出していても、会社に行っていましたし、体調が悪くても会社に行っていました。
親として、とても心配でしたが、ただ、側にいて、できることもほぼなく、また、それで休んでいたのでは、ほとんど、会社に出勤できなくなる状況でしたので、つらい精神状態の中、会社に行っていました。
また、周りの子の付き添いがお母さんばかりの中に男親という環境も気を使いました。
子どもも、「付添してくれるなら母親がいいだろうな」と思いながら、子どもに申し訳ないと思っていまいした。
ただ、我が家は共働きで、また、さかなの下にも子どもいたので、そのような状況の中、我が家が一番うまく回る状況を選択しました。
その経験を経て、今思うことは、「あの時は、精神的につらかった」です。
おそらく、これは、経験した人でないと分からない。
また経験した人でも、子どもの年齢や状態によって、つらさは大きく異なってきます。
でも、逃げられないのです。
私は、妻がいたからこそ、精神的にも概ね安定して過ごせたかと思います。
夫婦で支え合いながら、子どもを支えてあげて欲しいものです。
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