ハプロ移植 ドナー体験談

入院生活

このブログの主人公はさかなです。

白血病と闘いながら、中学受験に挑みました。

その結果、関西の難関中学に合格。

そんな経験をもとに、受験勉強や闘病生活に関する情報を発信するブログです。

今日は、さかなの母親である私が、ハプロ移植時のドナー体験を語ります。

ドナーの決定

さかなは、私がドナーになる前に、一度、骨髄バンクを通じて、知らない人から骨髄液を貰い、移植しています。

しかし、白血病が再発してしまったために、再度移植することとなったのですが、医師との話で、ハプロ移植(白血球の型(HLA)が半分しか合致していない人からの移植)となりました。

本来、HLAが合致する可能性が高いのは、兄弟らしく、25パーセントの確立で合致するようです。

さかなには弟がいるのですが、遺伝子検査の結果、全くマッチせずでした。

遺伝子が関係あるのか分かりませんが、さかなと弟の性格は、真逆です。

やっぱりなと、という感想でした。(笑)

そして、私か夫かという選択になりましたが、やや私の方がさかなと血液の型がマッチしていたため、私がドナーとなることが決まりました

普通、両親がドナーとなる時は、お父さんがドナーに選ばれることが多いそうです。

それは、お父さんの方が体が大きく、体力があるからだと医師は言っていました。

私は結構小柄な方なので、それを検査前に聞いていたのもあって、自分がドナーに決まった時大丈夫かな?と思いました。

移植本番に向けて ドナーとしてやったこと

さかなへの移植のため、私は、約1週間の入院が必要となります。

私は仕事をしていたので、職場に言ってお休みをもらいました。

入院したら、3~4日間、白血球を増やすための注射(G―CSF)を朝・晩打ちます

これがびっくりするほど痛いです。(笑)

量は少ないのですが、筋肉注射のため、全然慣れませんでした。

あとは、さかなと同室で過ごすだけです。

一緒に病院食を食べ、テレビやゲームをしたりして遊んでいました。

本当は、れっきとした入院なので、別部屋で入院することもできるのですが、さかなと一緒にいたかったので、同室でお願いしました。

それまでは、付き添いだったのでベッドはなく、固いソファーでした。(我が家はそれに寝袋を持って行っていました。)

今回は、自分用のベッドを横に入れてもらえました。

そもそも、さかなは無菌室なので、とても広い個室です。

ベッドで寝れるということは快適でした。

私の白血球は順調に増えていき、スケジュール通りに、血を取る日を迎えました(約5日後)。

献血の時に使うような太い針を使うよ、と医師から事前に聞いていました。(ボールペンの先ぐらいの太さ)当日、見せてもらって「おお・・・(結構太い)」と思いました)

私の血管が見にくいのもあって、担当医師が針を刺すのを大変困っていて、何回か挿し直しをされました。

両腕に刺しますので、とても痛かったですが、お医者さんも頑張っているので気合いで耐えました。

検査技師の先生方がおもしろくて、リラックスさせようとしてくれているのかずっとおもしろいことを言っていました。

ありがたかったです。

腕に針を刺し、血液中の造血幹細胞だけを取り出し、残りの血液を戻します。

「取れる血液が足りなかったら、また明日続きするから。」と言われていたので、それだけは勘弁してほしいと心から願いました。

所要時間は4時間ちょっとかかりました。

その間、腕は動かせませんが、スマホを触ってもいいし、本を読んでもいいと言われていました。

しかし、全身が重く、頭が痛かったので、微動だにせずじっとしていました。

スマホで映画を見たり、音楽を聴いたりしていた人も多くいると検査技師の先生から聞きました。

私にその余裕はなかったです。

終わって、血液もしっかり採れたと聞いた時はとてもうれしかったです。

そして、その晩だけベッドで寝て、翌日には退院となりました。

そのため、次の日には子どもの横に置いてあった病院用のベッドを回収され、また寝袋生活に戻りました。

私の血が、さかなに入って、悪い細胞をやっつけてくれて、今さかなが元気に過ごせていることに喜びを感じます

さかなはよく、「僕の中の血はママのもの」と言ってくれます。

これからも元気に過ごしてほしいと思います。

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