このブログの主人公はさかなです。
急性骨髄性白血病と闘いながら、中学受験に挑みました。
その結果、関西の難関中学に合格。
そんな経験をもとに、受験勉強や闘病生活に関する情報を発信するブログです。
私はさかなの母です。
我が子(さかな)は、8歳の時と10歳の時に骨髄移植をしました。
7歳の時に急性骨髄性白血病を発症。
そこから化学療法を経て、寛解になりましたが、退院して約3か月後に再発しました。
そして8歳の時にドナーさんの助けを借り骨髄移植。
その時は骨髄非破壊的前処置(ミニ移植)による骨髄移植を行いました。
しかし、約2年後、移植後に再発。
定期健診でwt1の数値が、徐々に上昇していたので、心の準備はしていましたが、やはり再発と判明した時にはつらいものでした。
さかなが2回目の再発の時に行った骨髄移植の血液数値の推移、体に起こった変化退院までに要した時間についてお話しします。
医師からの話 wt1数値が上昇 白血病再発の可能性
急性骨髄性白血病が再発し、1回目移植後した後は、月に一度の定期健診に行っておりました。(2回目の再発発覚までの期間)
骨髄移植後、1年程度は、血液検査の結果も大きな異常はなく、安定して推移しておりましたが、1年経過した辺りからwt1(がん細胞の目印)という指数の数値が徐々に上がってきていました。
wt1とは、白血病の再発時、現れる特有の細胞(wt1が検出されたからといって必ずしも再発とは限らない)で、その数値が徐々に上昇していたころは、不安でしかありませんでした。
wt1の数値は、徐々にあがっていましたが、まだ再発という定義には達しっておらず、この頃は、再発を早期発見するために定期的(月に1度程度)に骨髄検査を行っていました。
しかし、いつも骨髄検査で、異常は見受けられませんでした。
wt1は風邪などを引いた場合も、一時的に上がることがあるようですが、さかなの場合は、明らかに上昇曲線をえがいていたので、医師も、高確率での再発を疑っていました。
しかしwt1が上昇すれど、骨髄に異常が見受けられないという日々が続きました。
ある定期健診の日、医師から「PET検査をやりましょう」と提案されました。
PET検査とは、簡単に言うとがん細胞を発見できる検査だということ。
かなり高額な検査のようですが、自治体や国の補助のおかげもあり、無料で検査することが可能でした。
そして、PET検査を行った2,3日後、医師から電話がありました。
その結果は「白血病再再発」です。
白血病の骨髄内ではなく、骨髄の外、すなわち骨の部分にがん細胞ができてしまっていたのです。
その数、無数個所。
医師の話では、移植し、骨髄にいずらくなったがん細胞が、骨へ移動し増殖していったのでしょうとのことでした。
結局、治るのか?と聞きたいけれど怖くて聞けませんでした。
本人にはしばらく黙っていましたが、後日、医師から説明をしたもらいました。
医師から再再発という説明を受けたさかな。
本人は、気丈に振舞おうとしていましたが、医師からの説明が進むにつれ、涙があふれ出しました。
学校の友達のこと、今まで習っていた塾のこと、家での兄弟との時間、何より、治療のつらさ、すべて1回目の再発時に経験しているからこそ、つらく、悲しいものでした。
ましてや、移植後、2年以上経過してからの再発。
小学4年生のさかなにとっては、非常につらいものだったと思います。
その2日後、親と子の入院生活が始まりました。
治療方針
主治医の治療方針
入院後、医師から病状や治療方針の説明がありました。
「骨髄移植後の再発のため、強度がある治療をせざるおえません。できるだけ前処置でがん細胞を死滅させる必要があるが、これまでに、治療で、抗がん剤を多く投与しているため、長い期間、抗がん剤治療を使用するのは危険があるので今回は2サイクルで程度の予定です。ドナーはお父さんかお母さんのどちらかで、行きます。遺伝子がすべて合致している訳ではありませんので、移植後の免疫反応(GVHD)により、体を強く攻撃する危険性は高まるものの、がん細胞をやっつける効果はその方が強いと思われます。また、親から骨髄を移植した方が、もし、白血病に関する怪しい兆候が、本人(さかな)に見られたとき、リンパ球をさかなに輸血するなどして対処するこのができます」
と説明を受けました。
そのあと、
「納得して治療をうけていただくため、セカンドオピニオンに話を聞いてみてはどうですか」
と突然、言われました。
セカンドオピニオン
セカンドオピニオン。。。。
テレビなどで聞いたことはあるけれど、どんなものなのか今一つ分かっていない。
治療の仕方に関して主治医以外に相談するものですよね?
と、なんとなくの知識はあるものの、突然セカンドオピニオンに話を聞きに行くと言われてもどうしたらいいものかというい状態でした。
しかし、確かに、ほかの医師からの話も聞いてみたいと思い、他の病院の実績や医師について調べました。
ここで、知らなかった事実が。。。
セカンドオピニオンは保険が効かず、全額自己負担で、1万円から2万5千円ほど費用がかかるということです。
当然と言えば当然なのですが、思っていたよりも高く、驚きました。
これは、子どもの場合で、この値段。
大人の方がセカンドオピニオンを希望されるときは、もう少し高い金額となるところが多いようです。
今後の入院生活でのお金も心配のため、多くの病院に、お話を伺いに行くことはできません。
そこで、同じ地方で1番小児白血病患者を診ている病院に絞り話を聞きに行くことにしました。
セカンドオピニオンの段取りは病院側がやってくれました。
そして日程が指定され、私たちは、小児白血病の権威ある医師のもとに話を伺いに行くことになりました。
その医師から、まず
「親からの移植は私はあまりやらない。私なら臍帯血移植(胎盤の中にある血液を使って移植する方法)」
と、いきなり、主治医と違う見解。
セカンドオピニオンの医師が臍帯血を行う理由は、親からの移植だとGVHDによる反応が強く出てしまい、危険だからというものでした。
また「抗がん剤治療を、これより(主治医の治療計画)少なくする。これまでに抗がん剤治療を受けすぎており、心臓にかかる負担がはかり知れない。」
主治医と違う主張に困惑しました。
そして、素人にどちらが正しいかなんて、正解が分かるはずもない。
しかし、親が決断しなければなりません。
治療方針の決断
権威ある先生からの話を聞き、動揺しました。
主治医と治療方針が違う。
どちらにすればいいのか、夫婦で悩みました。。。
しかし、主治医のところで治療を受ける以上、主治医の治療方針に沿って進めた方がいいのではないか。
一回目の再発の時からさかなを診察し、これまでも2年間ずっと診察してもらっている。
さかなのことをずっと診てくれていた。
今回の移植後の再発も主治医が早く発見してくれた。
そういった、主治医への信頼から、親の血液を移植する決定をしました。
治療の始まり(化学療法)
入院してすぐに抗がん剤治療が始まりました。
治療計画では抗がん剤治療を2クール(数種類の抗がん剤打ち、正常な骨髄が回復してくるまでの期間(概ねいクール1月)行います。
さかなは1度目の抗がん剤治療で寛解になりました。
治療と並行しながら、今回のドナーは母親とする決定がなされました。
母親の方が少しだけ、さかなと相性がいいようです。
そして化学療法を2サイクル終えた結果は、寛解状態、WT1の数値が100未満、となり、移植に挑むことになりました。
移植前前処置
移植予定日の約10日前から前処置が始まりました。
抗がん剤と放射線を用いてがん細胞を死滅させます。
さかなは全身に3日間、放射線を照射されました。
前回の再発時の放射線は1日だけの、軽い照射だったので、体の異常は訴えていませんでしたが、今回は、放射線の2日目終わったあたりから頭痛や吐き気を訴え始めました。
かなりつらいそうな様子でした。
また併せて抗がん剤による、発熱や、倦怠感も日に日に増すばかり。
何もしてやれない親の無力感を感じました。
末梢血幹細胞骨髄移植
ドナー
母親がドナーとして抹消血幹細胞ドナーとして、移植の約ひと月前に、病院から血を抜かれました。
ドナーは自身のリンパ球を向上させるための薬を体に入れます。
その影響で、体に倦怠感が現れます。
ずっと熱っぽい感じです。
そして、リンパ球が上がってきたところで、血を抜きます。
私は血を抜く前日に入院しました。
かなりの量のい血を抜かれましたが、そんなことより、子どもが治りますようにと、自身の血に願いを込めました。
移植の様子
前回の移植の時、同様、医師が数名、移植の前後一時間程度、さかなに付いていてくれました。
急性GVHDに備えてのことです。
さかなは、移植中、大きな変化なく乗り越えることができました。
約1時間程度、いつもやっている輸血のようなもので、移植をしているという感じはありませんでした。
移植して2,3日後、血液の数値(血小板、白血球、好中球など)の数値が下がってきました。
移植の約1週間後には、好中球がほぼなくなりました。
好中球がなくなってからというもの、毎日のよう40度近くまで熱が出て、頭痛もありました。
口内炎がひどく出ると言われていましたが、思ったほどは出ませんでした。
さかながひどく悩まされたのは、膀胱炎です。
1回目の移植後も膀胱炎に悩まされました。
体質なのかもしれません。
夜、全く寝ることができず、1時間や2時間に一度の頻度でおしっこを訴えます。
しかし、おしっこは少ししか出ず、ずっと尿意を催している状態でした。
かなりつらそうでした。
膀胱炎は約1週間くらい続きました。
それが収まってくると、今後は、体全体にぶつぶつが出ました。
これも、医師から薬をもらい、それをこまめに塗れば、1週間程度で自然と引いていきました。
あれが治れば次はこれというように、なかなか、通常の状態になるまで時間がかかりました。
血液も移植後、はずっと好中球がかなり低い状態もしくは、ほぼない状態でしたが、13日目にようやく好中球が立ち上がってきました。
そこから、徐々に好中球が出始めましたが、膀胱炎や熱発、体のぶつぶつは、ひと月は闘ったと思います。
そして移植後ひと月辺りから状態が落ち着き始め、移植後2か月してから外に出る許可が出ました。
久々の外ということでさかなも楽しみにしていましたが、体力がとても落ちており、かなり、しんどそうな状態でした。
外に出て、5分も経たないうちに「しんどい、戻りたい」と言い出したため、病室に戻りました。
このままではいけないと思い、少しずつでも外に出て、体力をつけるように心がけました。
そして、2回目の移植後、76日後に退院を迎えました。
まとめ
治療を何とか乗り切ったさかな。
人それぞれ、病気のタイプが違い、副作用も違う中で、さかなは、まだ運が良かったように思います。
今なお、この病気で苦しんでいる人がたくさんいる。
そういう方々にとって、人からの励ましの言葉や気遣いがつらい時だって多々あります。
「前向きにとか」「今は治る人も多い病気」とよく言われますが、治るかどうかは人それぞれです。
そんな簡単なものじゃないし、経験した人でさえも、分からないことが多々あります。
だから、同じ病気で今、治療中の人でも、このブログを見て参考になる人もいれば、まったく参考にならない人もいると思います。
あくまで、さかなのケースです。
私自身、今治療中の方々の役に少しでも立てればと思いながらブログを書いています。
こんなケースもあるんだなと思っていだたける程度で十分かなと思います。
治療中の方や、病気のご家族の方々が少しでも穏やかな精神状態で、日々過ごされることを願っています。
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