Vクラスの厳しさ
「……ああ、やっぱりな。」
9月下旬、塾から帰ってきた吾郎は、車の中でこうつぶやいた。
VクラスからSクラスへの降格が決まった日だった。
その顔に悔しさはあったけれど、どこかホッとしたような、肩の力が抜けたような表情にも見えた。
無理もない。
二月の新学年開講から、ずっと必死に耐えていたのだ。
Vクラスの授業は、想像以上に苛烈だった。
先生の話すスピード、扱う問題の難度、容赦ないテストの結果管理――
一度遅れれば、次の瞬間には置いていかれる。吾郎にとって、それは毎日が綱渡りのようだった。
特に算数が致命的だった。
文章題も図形問題も、解説が速すぎて授業中に理解しきれない。
家に帰って宿題に取りかかるものの、なぜその答えになるのかが分からない。
ひとつの問題に何十分もかけ、気づけば寝る時間を過ぎている。
「また復習テスト、40点やった……。」
復習テストの結果を受け、ぽつりとつぶやいた吾郎の声には、疲労だけでなく、自信のしぼみもにじんでいた。
とはいえ、彼が勉強への意欲を失っていたかというと、そうではなかった。
第一志望校は、もう変えようがないほど心に決まっていた。
それがあったから、どんなに苦しくても、Vクラスにしがみついてきたのだ。
しかし、算数に時間をかけるあまり、国語や理科に割ける時間がどんどん削られていった。
苦手をカバーしようとすればするほど、他の教科にしわ寄せがいく――
まさに悪循環だった。
そんな中で迎えたSクラス降格。
一見、後退のように見えるその変化は、逆に吾郎にとって「余白」を与えることになった。
「少し落ち着いて、立て直せるかもしれない。」
そう感じさせるだけの時間と余裕が、彼の表情からも見て取れるようになった。
10月からSクラスだ。
やるしかない
もう、志望校を変えるつもりはなかった。
塾に通い始めて、Hクラスだった時から行きたいと言っていた第一志望。
そのために、これまで1年近くVクラスで耐えてきた。
「今さら、逃げるわけにはいかない。」
彼の心には、すでに覚悟ができていた。
Sクラスに落ちたとはいえ、日曜志望校別特訓のクラスは変わらない。
自分の立ち位置が、そう簡単に揺らぐわけではないということに、どこか安堵しているようでもあった。
夏休みもVクラスの仲間たちと過ごした。
朝から夕方まで塾にこもり、弁当を食べて、また授業を受ける日々。
あの環境でやってこれたこと自体、今思えば「奇跡」だったのかもしれない。
「今度こそ、地に足をつけてやっていこう。」
マスター教材のC問題には手を出さず、まずはB問題で基礎を固める。
授業の内容を確実に自分のものにする。
難問を追いかけるのではなく、正確な得点力を身につける。
そういう地道な方針に切り替えたとき、彼の勉強は、ようやく息を吹き返したように見えた。
日曜志望校別特訓と過去問
もうクラス替えはない。
それがわかった瞬間、吾郎は何かが吹っ切れたようだった。
「じゃあ、今からやるべきことは――過去問や。」
これまでにも、八月下旬から過去問には少しずつ取り組んでいたが、ここで一気にペースアップすることにした。
算数は最低週1セット。
記述の多い理科と国語は、時間を測って本番のつもりで解く。
「この問題、去年のやつと似てる。出るテーマって、やっぱ決まってるんやな。」
そんなふうに、ただ“解く”だけではなく、“傾向をつかむ”目線に変わっていた。
その変化は、明らかだった。
合わせて、日曜志望校別特訓の宿題にも力を入れた。
それは今の吾郎にとって、第一志望校の入試にもっとも直結する教材だったからだ。
プリントには、自分なりのメモがびっしりと書き込まれ、
解き直した部分には付箋が重ねられていった。
だが――現時点での実力では、正直、合格には遠かった。
「今のままじゃ。。やるぞー。合格するぞ」
彼はそう言いながら、もう一度過去問を開いた。
前向きとか、楽観的とか、そんな軽い言葉では表せない。
「やるしかない」という強い意志が、その横顔にはにじんでいた。
あと3か月、踏ん張りどき
季節は秋から冬へと変わり始めていた。
朝の空気は冷たく、夜は勉強部屋の窓がうっすらと曇る。
けれど、その机に向かう吾郎の姿は、どこか前よりも安定していた。
数字や順位に振り回されるのではなく、自分がやるべきことを見据える姿。
それはVクラスにいたときより、はるかに受験生らしく、たくましかった。
まだまだ課題は山ほどある。
第一志望は遠い。
でも――
「この冬、ちゃんと努力しきれたら、届くかもしれへん。」
そんな光が、彼の中に確かに見えていた。
あと3か月。
吾郎の挑戦は、まだ終わっていない。
むしろここからが、本当の勝負だ。


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