【第30話】中学受験まで 小学校 1月全休への道

中学受験リアルストーリー

不安と恐怖

12月の終わり。

空はどんよりと曇り、冬の冷たい風が吹く。
私は重たい足取りで、小学校へ向かっていた。

今日は個人懇談。

年末恒例の行事だが、今年は、ただ通知表の話を聞きに行くだけではない。

担任の先生に、大切なことを伝えなければならない。

「1月の受験が終わるまで、吾郎を学校に登校させずに塾に専念させたい」と。

学校に行けば感染症のリスクがある。

ここまで来たら体調万全で受験させたい。

また最後の追い込み勉強を考えると、学校に行くより家で過ごすほうが効率的だ。

だが、学校を休むということは、先生だけでなく友達にも受験することを知らせるようなものだ。

これで…もし、受験がうまくいかなかったら?

”吾郎がつらくなって追い込むことにならないか”そんな不安が、ずっと胸の奥に居座っている。

しかし、小学3年の時から受験のために、勉強してきた。

後悔だけはしたくなかった。

吾郎が頑張ってきた日々を、信じよう。

面談開始

校門をくぐり、廊下を歩く。

教室前の椅子に座り、順番を待つ。

担任の先生に休むことを伝えるのは憂鬱だった。

やがて名前が呼ばれ、教室に入る。

担任の先生は、変わらぬ穏やかな笑顔で迎えてくれた。

まずは学校での吾郎の様子についての話が続く。
「友達とも楽しそうにやっています」「活発な子です」——その言葉に、私は何度もうなずいた。

だが、心はそれどころではなかった。

先生の言葉が一区切りついたところで、私は意を決して切り出した。

「先生、1月の受験に向けて、冬休み明けから吾郎を休ませようと思います。」

当然先生から「どこの学校を受けるのですか」と聞かれた。

正直に受験する学校を答えた。

これで受験に成功したのか失敗したのか一目瞭然の状況になった。

「そうですか。吾郎くんなら、きっとやり切ってくれると思います。応援しています。…頑張ってください」

私は深く頭を下げた。

その言葉は、ただの励ましではなかった。先生なりの優しさと信頼が、しっかりと込められていた。

帰り道、空気は相変わらず冷たかった。
けれど、心の中に、ほんの少しだけ光が差し込んだ気がした。

不安が消えたわけではない。

受験の結果は、まだ誰にもわからない。

それでも、今日、私は伝えるべきことを伝えた。

もやもやしたものが吹き飛び、1月の受験に向けて集中できるような気がした。

吾郎が塾から戻ってきてから担任の先生に受験まで休むことを伝えたことを吾郎に伝えた。

吾郎も残念に思う様子はなく、むしろ笑顔で気持ちが高ぶった様子だった。

さあ、あとひと踏ん張り。

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