【25話】お世話係さんとの面談 受験校決定

中学受験リアルストーリー

吾郎、受験校決定のための話し合い

10月上旬、徐々に秋が深まり寒くなってきた。
塾の面談室で、私たちは世話係さんと面談を行った。

これまで、家庭では受験校について何度も話し合いを重ねてきた。
最難関の第一希望の中学に挑戦するという気持ちは変わっておらず、第二希望校も受験したい旨をお世話係さんに伝えていた。

そしてこの日──
お世話係さんと「受験校をどうするか」を決める。


面談、開始

お世話係さんは、吾郎の成績表と模試結果を見つめながら、ゆっくり口を開いた。

「まずは、A校(第一希望校)は受けますね。」

当然、第一志望を受験するのに、合格のするための偏差値が全く足りていないことは、この場にいる全員分かっている。

が、我が家のA校を受けることは以前からお世話係さんに伝えていたので、そのことを前提として話は進む。

まずは、受験する学校から決める。

我が家としては、最難関校ばかり受験したいが、全て偏差値が足りない。


お世話係さんの言葉

お世話係さんはゆっくりと話し始めた。

「これが、吾郎君の成績と、最難関校を軸とした受験校の日程です。」

と2枚の紙を見せられた。

その紙を見ながら説明された。

第二希望校は、すでにお世話係さんに伝えていたので、その学校も受験予定校として入っている。

その紙にはチャレンジ校2校を含めた4校が書かれていた。

チャレンジ校を除いた2校は、合格可能性が高い2校だ。

一つは、吾郎の偏差値より少し低い中堅校、もう一つは、吾郎の偏差値より10くらい低い中堅校だ。

お世話係さんは、手堅い予定を組んでいた。

その理由を次のように説明された。

「まず、チャレンジ校(第一志望校と第二志望校)を合格してくる子は算数が取れる子です。算数を担当している先生から吾郎の合格率を聴くと3回か4回に一回受かるかどうかと言われています」

と言われた。

私は、それでも可能性を高く見積もって言ってくれているのだろうなと思った。

だからこそ安全校2校を提案された。

この結果、初日と三日目にチャレンジ校を受け、空いている日に安全校を受けるという怒涛の3日間の予定が決定した。

最後にお世話係さんから「安全校も舐めてはいけません。過去問を一度は必ず解いてください」と言われ、ここも対策を全くしなければ、不合格の可能性があると、遠回しに伝えられた。


明確になった目標

その夜、吾郎に、お世話係さんとの話し合った結果を伝えた。

「うおー、やる気出てきたー」

と目標が明確になって勉強にやる気になったようだ。


こうして、受験校が決まった。。

合わせて読みたい
【第24話】第二希望校の変更
吾郎は、夏休みが終わるころまで偏差値56の最難関を第2希望としていた。それは、最難関中学の一角でありながら、現在の吾郎の実力からすれば、合格が十分狙える偏差値帯だったからだ。浜学園も吾郎の実力でいえば十分、この中学校の合格は狙えるだろうと思っていただろう。だから、なんとなく、ずっと同校のプレ入試や、入試特訓を受講してきた。しかし、ここである日、ふと、”本当にこの学校を受験する方向で突き進んでいいのだろうか”と疑問が湧いたのだ。夫婦で「R校っていい学校だけど、通学しづらいない?」という思いをなんとなく抱いていて、通学が遠いからできれば通学させたくはないと夫婦ともども思っていた。
中学受験 我が家の勉強部屋 公開
このブログの主人公はさかなです。急性骨髄性白血病と闘いながら、中学受験に挑みました。その結果、関西の難関中学に合格。そんな経験をもとに、受験勉強や闘病生活に関する情報を発信するブログです。こんにちは。「さかな」の母です。私が子どもの頃は、子ども部屋で、学習机を置いてもらい、勉強することが一般的でったのでした。今は、リビング学習が主流となっていると思います。我が家も、子どもの勉強は、必ずリビングでやっていました。できるだけ親の目が届くところで、勉強をやるというのが目的です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました