【第31話】願書提出 W出願

中学受験リアルストーリー

願書提出完了

年末。

願書を提出する。

浜学園のお世話係さんと話合って決めた受験予定に沿って、願書を出す。

今は、どの学校もインターネット出願だ。

紙に手書きするわけでもなく、郵便局に行く必要もない。

画面上で入力し、写真をアップロードし、支払いを済ませて「送信」ボタンを押す——それだけだ。

私は何度も画面を確認した。

緊張する。

志望校名、試験日、受験会場、氏名、漢字の送り仮名、生年月日……。

入力内容に間違いがないか、ひとつひとつ指でなぞるように読み返した。。

吾郎の願書に使用する写真を2,3度撮り直し、いざ出願。

——これで、いよいよ、始まるんだ。

今年だけ、やたら低倍率になったら嬉しいなと祈りながら出願した。

2025年1月18日から始まる受験。

3日間の午前と午後、それぞれに出願し、日程は埋まった。

ハードな三日間への下準備は整った。

W出願を決めるまで

ある日、夫から「ここも出しとかない?」と言われた。

それは、2日目の午後に行われる関西のとある最難関校だが、その日はすでに、浜学園のお世話係さんと話し合って別の学校に出願している。

”日程が被っている学校に出願していいのか?”と一瞬考えたが、入試のお金さえ払えば、いいに決まっているとすぐに思い直した。

ここで緊急の夫婦会議が始まる。

初日の午後にも比較的安全校に出願しているが、ここは、浜学園のお世話係さんに「最難関校の子が滑り止めとして多くの子が受験する」「合格する確率はかなり高いが100%ではない」と言われたために、2日目の午後も安全校をもう一校受けることにしていたのだ。

ここで夫は、「ここまで3年間、頑張ってきたので、チャンスがあるなら挑戦したい」「初日の出来で、もし安全校で本人(吾郎)が手ごたえを感じていたならば、チャレンジしてもいいのではないか」ということであった。

2日目の時点で初日に受験した学校の合否は分からない。

よってお世話係との話で安全校を2校選定していたのだが、初日の吾郎の手ごたえ次第で安全校を1校にしようというのだ。

確かにここまで来たら挑戦はしたい。(親のエゴかもしれないが)

落ちたらと思う恐怖もあるが、W出願していれば、状況によって変えられる。

夫婦の中でW出願することは決まった。

ただ、吾郎に、このことは黙っておこうとなった。

吾郎には、浜学園のお世話係と決めた日程で受験することは伝えていた。

吾郎に伝えなかったのは、本人は挑戦したいと言うに決まっているからだ。

もし初日の安全校に手ごたえがなく、親が勝手に決めた2日目の最難関校を、あきらめさせたとしたら、落胆するし、その後の試験に悪影響を及ぼす考えたからだ。

こうして、かなり遅れてこの学校の出願を吾郎に内緒で行った。

当然、この学校の過去問も解いたことがなければ、学校見学にも行ったことはない。

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このブログの主人公はさかなです。急性骨髄性白血病と闘いながら、中学受験に挑みました。2度の骨髄移植を乗り越え、関西の難関中学に合格。そんな経験をもとに、受験勉強や闘病生活に関する情報を発信するブログです。こんにちは!僕の名前は「さかな」です。僕は、小学3年生から小学4年生の10月に病気が発覚して入院するまで、浜学園に通っていました。その入院の直前の10月にHクラスからSクラスにアップしました。今現在、弟も浜学園に行っている小学4年生ですが、同じように10月から、Sクラスに上がりました。僕の場合と、弟の場合とを見ていて、浜学園でクラスアップするためには、毎週の復習テストで、良い点数を取ること(目標はベスト3以内に入ること)でクラスアップができると思います。公開学力テストの結果も大切だとは思いますが、僕も弟も、公開学力テストの結果はあまり良くありません。せいぜい、3教科で偏差値40後半から偏差値50を越えるかどうかくらいの点数です。
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