【第29話】最後の追い込み 正月特訓

中学受験リアルストーリー

正月特訓開始

年が明けるころ、街はお正月ムードに包まれていた。どの家にも門松が立ち、近所の子どもたちが晴れ着を着て神社へ向かう姿が見られた。

しかし、吾郎のスケジュールには「正月休み」という文字はなかった。

「1月が勝負や。ここからのひと伸びが、合格を左右する」

12月最後の志望校別特訓でそう告げられてから、吾郎は決意していた。「お正月は塾に行く」と。

浜学園の正月特訓は、元日から3日間。

午前9時から夕方5時まで、志望校の傾向に特化した問題を解き続ける集中特訓だ。

内容は過去問のアレンジや、合格者の得点帯を狙う応用問題が中心で、いわば最後の総仕上げに向けた戦場のような空気だった。

元日の朝。

ふつうなら、家族でおせちを囲む時間帯に、吾郎は母の握ってくれた弁当をリュックに詰め、朝早くから塾へと向かっていた。

電車の中は、初詣へ向かう人が多かった。

塾に着くと、既に多くの生徒が集まっていた。みんな、志望校が違えども、この冬の短い時間で何かをつかもうと目を光らせていた。

そして、ぞろぞろと塾の中に子どもたちが入って行った。

元旦から3日間、朝から晩まで吾郎は塾にいる。

特別な正月三が日だ。

特訓の終了

3日間の正月特訓が終了した。

すべての日でテストがあり、全ての日で合格、不合格が言われる。

怒涛の3日間が終了した。

「……疲れた」

たった一言。

最終日は父親が遠くのまで迎えに来てくれていた。

私は吾郎に「テスト、どうやった?」と聞いた。

「死んだ」

元気がない。

「算数、20点台やった……」

一瞬、耳を疑った。

20点台?

不安が一気に押し寄せた。

この三日間すべてで点数が悪く、全てで不合格判定という厳しい現実。

しかも最終日に至っては算数20点台。

やはり本当の実力がついてなかったんだと再確認させられた。

翌日、冬期講習で、浜学園の算数の先生に、この状況を吾郎は相談したらしい。

「みんな悪かったから気にすることではない」と言われたようだ。

それを言われ吾郎は、元気を取り戻した。

先生の励ましの言葉は絶大だ。

お正月返上で過ごした3日間。それはただの勉強漬けの日々ではなく、確実に吾郎が成長したように思う。

1月の入試本番は、もうすぐそこまで来ていた。

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このブログの主人公はさかなです。急性骨髄性白血病と闘いながら、中学受験に挑みました。2度の骨髄移植を乗り越え、関西の難関中学に合格。そんな経験をもとに、受験勉強や闘病生活に関する情報を発信するブログです。こんにちは!僕の名前は「さかな」です。僕は、小学3年生から小学4年生の10月に病気が発覚して入院するまで、浜学園に通っていました。その入院の直前の10月にHクラスからSクラスにアップしました。今現在、弟も浜学園に行っている小学4年生ですが、同じように10月から、Sクラスに上がりました。僕の場合と、弟の場合とを見ていて、浜学園でクラスアップするためには、毎週の復習テストで、良い点数を取ること(目標はベスト3以内に入ること)でクラスアップができると思います。公開学力テストの結果も大切だとは思いますが、僕も弟も、公開学力テストの結果はあまり良くありません。せいぜい、3教科で偏差値40後半から偏差値50を越えるかどうかくらいの点数です。
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