このブログの主人公はさかなです。
白血病と闘いながら、中学受験に挑みました。
その結果、関西の難関中学に合格。
そんな経験をもとに、受験勉強や闘病生活に関する情報を発信するブログです。
今日は、さななの母親がブログを書く日。
我が子(さかな)は、8歳の時と10歳の時に骨髄移植をしました。
8歳の時は骨髄非破壊的前処置(ミニ移植)による骨髄移植を行いました。
そのあと、約2年後にも再再発しています。
さかなが一回目の再発の時に行った非破壊的骨髄移植の血液数値の推移、体に起こった変化退院までに要した時間についてお話しします。
医師からの宣告
子どもが8歳の時の秋、月の一度の定期健診で、それは突然言われました。
「再発です。」
医師から思ってもみなかった言葉を聞き、頭が真っ白になりました。
血液検査の結果を見せられながら、説明を受けましたが、「芽球」という言葉以外覚えていません。
頭が真っ白になり、医師の話は全く入ってきません。
見た目はいつもと変わりないさかなでしたが、病魔がまたやってきてしまいました。
幼いさかなは、まだ状況が分かっていませんでした。
翌々日から入院となりました。
治療計画
再発発覚から2日後、入院し血液検査をすると、血小板がかなり低い値をしめしており、すぐに輸血が始まりました。
その日のうちに、病院の先生とお話しし、移植しかないと聞かされました。
ここで、父母より兄弟が血液が合う可能性が高いらしく、さかなには弟がいたため、弟が血液検査。
適合するようにと神に祈りましたが、結果は不適合。
骨髄ドナーバンクを通じて、ドナーさんを探すことになりました。
化学療法
その間は化学療法をしながら、がん細胞を死滅させる治療を行います。
さかなは一度目のサイクルで寛解になりました。
入院してから2か月か、3か月後、ドナーさんが決定したと聞かされました。
ドナーさんは46歳の女性とだけお話を聞きました。
連絡先などは全く教えてもらえませんが、本当に感謝しかありませんでした。
そして秋に入院したさかなの移植が2月中旬に行われることになったのです。
寛解になったと言っても、まだがん細胞は残っていると言われました。
もう一つ一つの基準で用いられる数値が「WT1」です。
さかなは化学療法を全部で3サイクルやりました。
さかなの場合、このWT1が再発発覚時35000、第1クール終了後900、第2クール終了後760といった具合でした。
この時点での医者の話では200以下になれば、誤差の範囲となってくるとの話で、760という数値は良くもなく悪くもなくと言われました。
そして化学療法を3サイクル終えたところで話をすると、WT1が200まで下がっていたのです。
移植前前処置(骨髄非破壊的前処置)
WT1が200まで下がっていたということで、医者は、良い成果ですと言われました。
そこでの医者の判断は、薬の効果と成長期ということも考慮して、骨髄非破壊的前処置で行くというものでした。
再発の可能性は高まりますが、よろしいですかと聞かれました。
親としては、再発も困りますが、幼いころに強い治療を行い障害が残ることも恐れています。
そのため、今後の生きていくことを考えれば、反対する余地などありませんでした。
そして、移植約10日前から前処置が始まりました。
抗がん剤と放射線を用いてがん細胞を死滅させます。
抗がん剤は、医学に精通していないため詳しくわかりませんが、4種類の抗がん剤を用いていたと思います。
そして放射線は、脳や性器に当たらないようにし、一日だけ照射をおこないました。
造血幹細胞移植
そして移植の日。
急性GVHDに備え、注意深く見守っていましたが、大きな変化なく乗り越えることができました。
移植して2,3日後から血液の数値(血小板、白血球、好中球など)の数値が下がってきました。
そして、移植後一週間後には、好中球がほぼなくなりました。
好中球がなくなってからというもの、毎日のように熱発し、40度近くまで体温が上がっていました。
さかながひどく悩まされたのは膀胱炎です。
夜全く寝れません。
1時間や2時間に一度の頻度でおしっこを訴えます。
しかし、おしっこに行けども少ししか出ず、ずっと尿意を催している状態でした。
かなりつらそうでした。
また、体に多少のぶつぶつが出ていました。
これは、薬をこまめに塗れば、自然と引いていきました。
このような状態が一週間から2週間程度続きました。
状態が落ち着いてきたのが、20日程度経過してからでした。好中球も増え始め、感染を表すCRPも少しづつ下がってきました。
そして移植後24日目辺りから自身の部屋から出て病棟内は歩いていいという許可が出ました。
さかなも喜んでいました。
そして移植後約75日後、無事退院を迎えました。
まとめ
さかなの場合、入院から退院までおよそ6か月半、移植からは75日で退院しました。
さかなはこの時、まだ小学低学年。
再発の可能性があるとは言え、将来を考えると、強い治療は望んでいませんでした。
まだまだ将来がある身。
治療が終わってからもできるだけ、みんなと同じような生活ができるようにと、何度も祈りました。
当然、治療後も再発の恐怖心はずっとついて回っています。
退院した時には、普通に生活できる喜びを感じながら”このまま何事もなく、大人になっていってくれ”と神様に祈っていました
が、その願いもむなしく、約2年後、また再発をしてしまいます。。。。。
その件については、また別の記事で。
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